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◆絵描きにとってのトラウマ◆ よりによって色のトラウマ

*今回はトラウマの話し

事もあろうに「色」のトラウマが僕にはあった

高校2年の冬に東京の美術研究所・・美大の予備校
の冬期講習に初めて参加した
研究所なるものは僕にとってそれは新鮮で

色んな人が居ることにまずは驚く💧

6年も浪人してるという髭もじゃな仙人
ものすごい奇抜な格好してる性別不明、年齢不詳の人
2年生のまだ青々しい僕は
ただキョロキョロしていて
とても講習どこではなかった
ともかく超上手い人達に囲まれて
緊張しっぱなし、何が何だか分からないままに
あっという間に1週間が過ぎた
冬期講習最後の日に広い部屋に集められて
講評会が始まった
それぞれが3日かけて描いたヌードの油彩が60枚近く並んだ
僕はその時生まれて初めてヌードを描いたのだ
しかも最前列で
モデルさんとは目がバシバシ合うし
何処見ていいのか分からずにともかく必死で描いた作品
比較的若く偉そうな講師が3人前に立ち
作品についての講評がいよいよ始まった
そして一番先に僕の作品をひょろっとしたのっぽの講師が取り
チビの講師に渡した
おもむろにそのチビの講師に
「これ描いたのは誰?」って聞かれ
びっくりして「ハイ💦!」と答える
「お前、どこから来た?」
「え!福島の郡山です・・」
「あ=やっぱりな~!絵が超寒々しい🥶もんな」
一同爆笑( ´艸`)
それ以外何か言われたのか
言われなかったのか、、覚えてないけどその一言は
結構強烈だった・・・
たしか全体にモスグリーンでまとめたような
ともかく必死で描き上げた記念すべき初めてのヌード
で絵の良し悪し、形の狂い、作品の注意というよりも
いきなりそこを言われちゃって、笑われたら、
決して悪いように言ったんじゃなくても、、これはショック💦
確かに地域によって生まれ育った環境によって
育まれた色、自分の持ち色はあると思うし
僕は昔から緑が大好きな色だった
その時「超寒々しい」って言われてからは
以来何年も「緑」を使えなくなってしまった
いつの間にかパレットから緑系の色が消えていった
恐ろしいことに今でも使う「緑の絵の具の種類」は
極端に少ない。。。
ただこれは残念だ!こん畜生~!!という
恨みがましい話ではなくて
逆に僕はあの時の講師の先生にはとっても感謝している
お蔭で
あえて思う色ではない色を使ってみることによって
僕の色域は随分と広がった
日本の伝統色の中でも「緑味」の色はとても多い
それだけ私達には自然の移ろいと共に
大昔から馴染みのある大切な色である
それをあえて使わずに
他の色をあてがうというかなりの離れ業をしばらく続けたことによって
そのおかげで
またいつかその話は聞いて頂くけど
あちこち出向くたびに新しい色に出会い その色に感激し
新しい色がパレットに追加される
超寒い色=緑=大好きな色=トラウマ色
は僕にとって新しい彩りのまだ見ぬゲートを開き
たくさんの色との出会いをもたらした
心の状態その日の気分に合わせてその場の空気を感じて
自由な組み合わせで喜びを持って描く
もしあの時
自信のモスグリーンにそんな突っ込みが無かったら
こんなにも「色の持つ意味」を意識することはなかったと思うし
更には「緑色」の奥深さ
風土に根付いた日本の伝統色としての貴重さに
気付くことも無かった
1人のアート作品のようです
「森の中の白鳥たち」 水彩/ジーザスパステル P10
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